国指定の史跡【御経塚遺跡】では、縄文時代後期から晩期にかけての集落跡や、復元された竪穴式住居を見る事が出来ます。
御経塚の住宅街の近くで、一見、公園のような感じなので、気軽に見学に行く事が出来ます。
所在地 | 石川県野々市市御経塚1丁目182 |
問合せ | 076-246-0133 (野々市市ふるさと歴史館 ) |
料金 | 無料 |
時間 | 自由観覧 |
駐車場 | 入り口に無料駐車場あり ※本文中に記載 |
向かい側には【ふるさと歴史館】があり、実際に遺跡から出土された展示物を見る事が出来ます。御経塚遺跡と併せてご覧いただく事をおススメします♪
※写真の左側がふるさと歴史館
8号線から入ってすぐの場所にあります。
御経塚遺跡
入り口前には無料駐車場が設置。
遊歩道が整備され、ご近所さんの散歩コースにもなっているようです(^.^)
今から、3700年から2500年前の大集落がここにありました。
縄文時代の始まりは、氷河期が終わり温暖化へと向かう頃、人間は縄文土器を使い始めました。紀元前13000年ころから約1万年以上もの長い期間に渡って作られた、土器の形や色はどんどん変化や進化し、6つの時代(草創期・早期・前期・中期・後期・晩期)に分けられます。
御経塚遺跡は、後期・晩期の大集落跡。
縄文人は、木の実や山菜、キノコなどの植物をとって食べていました。
森にいるシカやイノシシ、ノウサギなどの動物を捕まえるために狩りをし、この頃には、狩りの手伝い役にイヌを飼っていたそうです。
海や川では、サケやブリ、ヒラメなどの魚を捕り、シジミやアサリなどの貝を集めて食べていたようです。
縄文時代より以前の旧石器時代の人々はマンモスなどの大きな獲物を追いかけて移動しながら生活していました。住まいもすぐに移動できるテントのような家だったと考えられます。
縄文時代になると、人々は同じ場所で長い間、住む事が出来る家を作り、みんなで集まって生活をするようになりました。
竪穴式住居は、縄文時代の代表的な住居です。地面を掘り、何本かの柱を立て、上に屋根を付けた半地下式の家です。
縄文人の平均身長は、男性で157㎝ほど。女性は147㎝くらいだったようです。
身長は低めですが、狩猟や採集など行うために、体は筋肉がしっかりとつきガッチリとした体形だったようです。
顔は、目が大きく二重で、くちびるが厚いなどの特徴がありました。自然と共存出来るように容姿もその時代に合ったものとなるようです(^.^)
遺跡のすぐ側は、森のようになっています。
日中でも暗い感じなので、小さなお子様が中に入って迷ったり怪我をしないように、十分にお気を付け下さい。
駐車場
駐車場は公園入口に設置されています。
道路挟んで向かい側に【ふるさと歴史館】があり、そちらにも駐車場とトイレがあります。
ふるさと歴史館
御経塚遺跡出土品の展示収蔵施設です。
所在地 | 石川県野々市市御経塚1丁目182 |
問合せ | 076-246-0133 ※見学の予約等はこちらへ |
入館料 | 無料 |
開館時間 | 10時~16時 |
休館日 | 月曜日(祝日の場合は翌日) 祝日の翌日(土日は除く) 年末年始 |
駐車場 | 建物横に無料駐車場あり |
■第1展示室
市内の遺跡地図や発掘調査の方法を紹介
■第2展示室
国の史跡に指定されている御経塚遺跡からの出土品を中心に展示
■第3展示室
弥生時代のムラ、古墳、末松廃寺(国指定史跡)の出土品や模型などを展示。守護富樫氏に関する史料の紹介。
広場
遺跡の隣はグランドになっています。
御経塚遺跡の立て看板
おすすめ | ★★★★☆(4点) |
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感想 | 縄文時代後期から晩期にかけての集落跡や、復元された竪穴式住居を見る事が出来ます。御経塚の住宅街の近くで、一見、公園のように見えるので、気軽に見学に行く事が出来ます。 御経塚遺跡の向かい側にある「ふるさと歴史館」には遺跡の出土品が展示してあります。併せてご覧いただく事をおススメします(^.^) |
住所 | 〒921-8801 石川県野々市市御経塚1丁目182 |
電話番号 | 076-246-0133 (野々市市ふるさと歴史館 ) |
営業時間 | 自由観覧 |
定休日 | 無 |
駐車場 | 入り口前に無料駐車場あり |
料金 | 無料 |
備考 | ホームページはこちら |