歴史散策

実盛と石川県の繋がり(実盛ゆかりの地巡り)

2022年1月12日

篠原古戦場の「首洗池」で【斎藤別当実盛】の物語を目にしました。

石川県には、実盛ゆかりの地や、品物が点在します。その足跡をたどってみました。

 

実盛と義仲の哀しい物語

寿永二年(1183)、倶利伽羅の戦いで木曽義仲(源義仲)に大敗した平家の軍勢は、加賀平野を南下し、ここ篠原の地で陣を立て直し、義仲との決戦を図りました。

しかし勢いづいた義仲軍を阻止することはできず、平家軍はふたたび敗れ去りました。

このとき、敗走する平家軍でただ一騎踏みとどまって、戦ったのが斉藤別当実盛でした。

実盛はこの時73歳。老武者とあなどられることを恥じとし、白髪を黒く染めて参戦しましたが、義仲軍の手塚太郎光盛に討ち取られ、激的な最期を遂げました。

実盛と義仲には、とても深い縁がありました。
その事実に気づいたのは、実盛が討ち取られた後の事でした。

実盛は、義仲が幼少の頃、命を助けた事のある大切な恩人だったのです。

実盛はかつて源氏に属していた頃、大蔵合戦で父・源義賢を討たれた駒王丸(木曽義仲、当時2歳)を、木曽の中原兼遠のもとへ送り届けた、義仲にとってはいわば命の恩人なのでした。

しかし、今は平家の武将。この事実を明かさず、命乞いをする事もなく、73歳という老齢に達していた実盛は、この戦いを最期の一戦と覚悟し、侍大将のみが着用できる錦の直垂を身につけ、さらに老齢であることを隠すために白髪頭を黒く染めて戦いに挑みました。

実盛は馬を立て直して手塚太郎光盛の呼びかけに応じて切りあい、二人は切りあったまま馬から落ちてしまいました。
光盛は組みしかれましたが、すばやく小刀をぬき実盛を刺し、実盛の首を討ち取りました。

名を名乗らかなかったので、誰の首か分かりませんでした。

光盛の友人、樋口次郎兼光はそれが実盛であると直感しましたが、黒い髪を不思議に思い、首を洗ってみると白髪の実盛があらわれました。

義仲は、幼少の頃に自分の命を助けてくれた恩人だと分かり、実盛の首を抱きかかえて涙した。と言う哀しい言い伝えがあります。

 

篠原古戦場【首洗池】

〒922-0402石川県加賀市柴山町63
0761-72-7900(加賀市観光交流課)
【首洗池】について

実盛の首を洗ったとされる池です。

篠原古戦場【首洗池】源平合戦 実盛と義仲の哀しい物語

 

篠原古戦場【実盛塚】

〒922-0405石川県加賀市手塚町篠原新町他
0761-72-7900(加賀市観光交流課)
【実盛塚】について

石川県は、源氏と平家の戦いの場として様々な歴史が残っています。現在の加賀市篠原町付近にある「篠原古戦場」は、その昔、源平の戦いが繰り広げられた場所です。

篠原古戦場【実盛塚】源平合戦古戦場 実盛と義仲の切なく哀しい物語

 

篠原古戦場【鏡の池】

〒922-0566石川県加賀市深田町22
0761-72-7900(加賀市観光交流課)
【鏡の池】について

「今日は最期だ。今は用無きこの鏡、今生の形見に伝えよ」
加賀市深田町にある「鏡の池」には、篠原古戦場で命を落とした斎藤実盛が、白髪を染めるために使ったとされる銅鏡がおさめられています。

年に一度、秋祭りの前に池洗いが行われ、この時に古鏡を拝見することが出来ます。

篠原古戦場【鏡の池】2021年の鏡の池清掃日

 

実盛の兜【多太神社】

〒923-0955石川県小松市上本折町72
0761-22-4089
【多太神社】について

多太神社に奉納された「実盛公」の兜を見る事が出来ます。
ご覧になりたい方は電話で予約が必要です。

【多太神社】実盛の兜を実際に見る事が出来ます!

 

 

 

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