実盛の首を洗ったとされる「首洗池」
寿永二年(1183)、倶利伽羅の戦いで木曽義仲(源義仲)に大敗した平家の軍勢は、加賀平野を南下し、ここ篠原の地で陣を立て直し、義仲との決戦を図りました。
しかし勢いづいた義仲軍を阻止することはできず、平家軍はふたたび敗れ去りました。
このとき、敗走する平家軍でただ一騎踏みとどまって、戦ったのが斉藤別当実盛でした。
実盛はこの時73歳。老武者とあなどられることを恥じとし、白髪を黒く染めて参戦しましたが、義仲軍の手塚太郎光盛に討ち取られ、激的な最期を遂げました。
実盛と義仲には、とても深い縁がありました。
その事実に気づいたのは、実盛が討ち取られた後の事でした。
実盛は、義仲が幼少の頃、命を助けた事のある大切な恩人だったのです。
実盛はかつて源氏に属していた頃、大蔵合戦で父・源義賢を討たれた駒王丸(木曽義仲、当時2歳)を、木曽の中原兼遠のもとへ送り届けた、義仲にとってはいわば命の恩人なのでした。
しかし、今は平家の武将。この事実を明かさず、命乞いをする事もなく、73歳という老齢に達していた実盛は、この戦いを最期の一戦と覚悟し、侍大将のみが着用できる錦の直垂を身につけ、さらに老齢であることを隠すために白髪頭を黒く染めて戦いに挑みました。
実盛は馬を立て直して手塚太郎光盛の呼びかけに応じて切りあい、二人は切りあったまま馬から落ちてしまいました。
光盛は組みしかれましたが、すばやく小刀をぬき実盛を刺し、実盛の首を討ち取りました。
名を名乗らかなかったので、誰の首か分かりませんでした。
光盛の友人、樋口次郎兼光はそれが実盛であると直感しましたが、黒い髪を不思議に思い、首を洗ってみると白髪の実盛があらわれました。
義仲は、幼少の頃に自分の命を助けてくれた恩人だと分かり、実盛の首を抱きかかえて涙した。と言う哀しい言い伝えがあります。
この時の、首を洗った池がこの「首洗池」だと言われています。
■首洗池
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私が「首洗池」を訪れたのは7月。
草に覆われた首洗池は、少し怖ささえ感じるほどの雰囲気でした。
桜が咲く頃、秋の紅葉、冬の雪景色など、季節によってまた違った雰囲気で見ることが出来るかもしれません。
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■実盛の首を抱え涙する義仲(左)
実盛は、義仲の幼少の頃の命の恩人であることから、実盛の首を抱えてさめざめと涙したと言われています。その光景が目に浮かぶような、哀しい物語の石像が池のほとりにありました。
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首洗池と松尾芭蕉
■芭蕉句碑
「奥の細道」の行脚の途中にこの地に立ち寄った松尾芭蕉は、この様子を「むざんやな甲の下のきりぎりす」と詠みました。
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駐車場
入り口入って右側に無料駐車場が設置されています。
また、休憩所もありました。
おすすめ | ★★★★☆(4点) |
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感想 | 石川県の心霊スポットになっているようです。実盛と義仲の物語を知ってから訪れる事をお勧めします。時代背景や、実盛の首を抱えて涙する義仲の石像にも心を打たれます。周辺には、源平合戦のゆかりの観光地があるので、併せて周るとさらに時代背景を楽しめると思います。かなり怖い雰囲気でした。 |
住所 | 〒922-0402 石川県加賀市柴山町63 |
電話番号 | 0761-72-7900(加賀市観光交流課) |
営業時間 | いつでも見ることが出来ますが、日中の明るい時をお勧めします。 |
定休日 | 無し |
駐車場 | 敷地内に無料駐車場があります。 |
料金 | 無料 |
備考 | ホームページはこちら |