石川県内には能登から加賀まで90以上もの義経伝説があります。実際に行った義経伝説の場所をご紹介致します。悲運の英雄、義経の足取り残る伝説をお楽しみ下さい。
【安宅住吉神社】(難問突破の神様)パワースポット(小松市)
安宅住吉神社は、奈良時代(782年)に創建された1200年以上もの深い歴史をもつ神社です。義経と弁慶一行が安宅の関で関守の富樫に疑われながらも難を逃れたとの伝承から、難問突破に霊験があるとされて、全国唯一の難問突破の霊神として多くの信仰を受けています。
〒923-0003 石川県小松市安宅町タ17
℡ 0761-22-8896(社務所)
【安宅の関跡】(小松市)
兄、頼朝に追われた義経が安宅の関を通る際、関守・富樫の厳しい尋問にあい、その危機を乗り切るため弁慶は白紙の勧進帳を読み上げて強力に身をやつした義経をかばいます。義経に顔が似ていると、さらに嫌疑がかけられると「義経に似た貴様が憎し」と主人義経を打ちすえました。その忠義の心に感じた富樫は義経と知りながらも一行を解放し、関を通してしまう。と言う感動的な「勧進帳」物語の舞台設定となった場所です。
〒923-0003 石川県小松市安宅町
「安宅住吉神社の境内ないに位置します。裏手にあたります。」
【義経腰掛石】金釼宮(金運のパワースポット)
源義経が京都から奥州に落ちる途中に、この金劔宮に立ち寄り、神楽を奉納したと「義経記」に記されています。その折にこの石に腰かけ、眼下に広がる手取川や平野を眺めたと言われています。
義経記巻七に「安宅の渡りを越えて根上の松に着き給ふ。明くれば白山に参りて女体后の宮(白山比咩神社)を拝み参らせて、その日は剣に権現(金劔宮)の御前に参り給ひて、御通夜あり、夜もすがら御神楽まいらせて...」とあります。
〒920-2123 石川県白山市鶴来日詰町118-5
℡ 076-272-0131
【尼御前岬】(加賀市)
この尼御前岬には、源義経に関する伝説が伝えられています。
義経の一行は、兄の頼朝に追われ、都から逃れ奥州へと落ちにびる際にこの海岸に辿り着きました。安宅の関は看守の取り調べが厳しいと聞き及び、義経に同行していた尼は、これから先の旅路の邪魔をしたくないと、主君の無事を祈って、この岩頭から身を投じてしまいました。
この伝説から、尼の名をとり【尼御前岬】と呼ばれるようになりました。
〒922-0551石川県加賀市美岬町 尼御前岬
℡ 0762-72-7892(加賀市市民生活部環境安全課環境政策係)
【弁慶の力石】布布神社(野々市市)
源義経が奥州へ向かう途中、家来の弁慶が富樫氏の館に立ち寄って、余興にこの石を軽々と扱い遠くに放り投げたという伝説があり、その「力石」が祀られています。
〒921-8815石川県野々市市本町二丁目地内
℡076-248-1610
【一夜を明かした神社】大野湊神社(金沢市)
「義経が 一夜とまりの 宮さくら」
【大野湊神社】には、冨樫氏の館を訪ねた弁慶を待ち、この大野湊神社(当時は佐那武社)で一夜を明かしたと伝えられています。
〒920-0341石川県金沢市寺中町ハ163
℡076-267-0522
【牛若松】兎橋神社(小松市)
本殿の裏手に回ると、添え木にしっかりと支えられている一本の松の木があります。
鎌倉時代、源義経一行が、安宅の関を無事通過することを祈願し、義経が植えた「牛若松」と言われています。「弁慶松」もあったようですが、現在は牛若松のみ現存しています。
〒 923-0907石川県小松市浜田町イ233
℡0761-24-2311(代表:諏訪会館フロント)
大野 日吉神社(金沢市)
公式サイトの年表には文治3年(1187)源義経、奥州へ下向途中、武運を祈りに参拝。 太刀一振、横笛一管を奉納。との記載がありました。こちらの神社は源義経ゆかりの神社のようです。
〒920-0331石川県金沢市大野町5丁目81番地
℡076-267-5636(社務所)
【碁盤島】能登金剛 巌門(羽咋郡)
能登金剛は、日本海の荒波に浸食され造り上げられた奇岩や断崖が続く海岸で、景色の素晴らしさは朝鮮半島の金剛海岸に匹敵すると言う事から「能登金剛」と呼ばれ、多くの観光客が訪れる地元でも有名な観光名所です。
源義経一行が奥州へ下る際、この島で碁を楽しんでいたと伝説の残る島【碁盤島】があります。
〒925-0345石川県羽咋郡志賀町 富来牛下巌門
℡0767-32-1111(志賀町商工観光課)